チェロを習い始めたのは10歳です。それ以来、長い中断もなくずっと演奏してきました。暖かみのある音色に、演奏している自分自身が癒されます。
今ではコンチェルトも演奏します。最初に演奏したのはハイドンのCメイジャーでした。第二楽章の旋律は、なんだか亡くなってしまった肉親を懐かしく思い出しているようで、全身が音楽に溶け込んでいくようでした。
ドヴォジャーク(ドボルザーク)はもっとも有名なコンチェルトですが、私にはちょっと激しすぎて得意ではありません。むしろシューベルトのアルペジオーネソナタや、チャイコフスキーのロココ変奏曲が大好きです。
私のチェロは、イタリア・クレモナのアレッサンドロ・ボルティーニが製作したものです。現代楽器の良さは、発する音の若々しさに尽きると思います。
いわゆるオールドと呼ばれるものは100年以上昔の製作ですが、音は完成していて、例えば(手に取ったことはありませんが)ストラディバリウスなどは2000人収容の大ホールで、フルオーケストラをバックにコンチェルトを演奏しても、その音が客席最後部まで朗々と届くそうです。
現代楽器は、そこまで完成していません。例えばプロオーケストラのソロ演奏者であれば、ファースト楽器としては使わないものでしょう。
私はアマチュア演奏家ですが、演奏者の技量は、giftedか否かにつきるのではないでしょうか。
私は大学では法律を学びました。とても興味深く学びました。ですが、一日の時間で、法律を学ぶ時間の倍はチェロの練習に費やしました。
高名な方に師事し、基礎的訓練に時間を費やしました。その上で、ひととおりのテクニックをマスターしてある程度の曲を演奏できるようになると、そこから先はgiftedか否かが全てだと思うようになりました。
チェロの音色は男性に例えられますが、形状は女性そのものです。優しく包み込むような音と形状に、チェロという楽器の不思議な特性を感じ、人格すら感じるようになりました。
やや専門的なお話になりますが、現代のフルオーケストラで使用される弦楽器の中で、チェロとコントラバスだけ首が自由です。
つまりヴァイオリンとヴィオラは楽器の下部を首に当てて演奏しますから、それなりに拘束されます。そしてコントラバスはあまりに音が低いため、一部の天才的演奏者を除き独奏楽器としての高音を出すことは困難です。
一方、チェロは左手の指を5本とも使って(わかりやすくいうと親指を使って)音程を普通に4オクターブ以上出せます。このメリットは大きくて、作曲家は弦楽器で旋律を歌うときに、あえてチェロを用いることがあるのです。
チェロは、楽器の中では例外的に、年齢(=体力)に無関係に演奏技能を習得できる楽器だと思います。ただしあまりに幼いとチェロの大きさに身体が負けてしまいますから、10歳くらいが適当でしょう。
木管楽器や金管楽器ですと、アンブシュアembouchureや腹式呼吸のように、一定の音を出すまでの苦労が非常に大きいのですが、チェロはありません。演奏する姿勢も、ヴァイオリンのように身体を半身に構え、アゴで楽器を挟む姿勢は特殊ですが、チェロは普通に椅子に座って、楽器を身体の中心に置くだけです。
初心者用のセットは20万円くらいからありますが、個人的な見解として、できれば50万円くらいの楽器でないと音色を楽しめないように思います。もちろん弓は別です。楽器と弓の金額の比は2:1と言われます。初心者用は別ですが、100万円を超える楽器ではそのとおりだと思います。楽器が鳴って音を出しますが、その音を作るのは弓ですから。
良い楽器は高価ですが、一生持ち続けることができますし、それ以上の銘品は世代を超えて維持されます。日本は良い国で、優秀なマイスターがたくさんおられ、最上級の修理やメンテナンスが可能ですし、世界中の優れた楽器が日本で販売されています。
当然ニューヨークにも同様以上の社会基盤があります。
ニューヨークはリンカーンセンターにジュリアード音楽院という世界的な演奏者が研鑽を積む施設があります。定期的に学生の演奏会が開催されており、そこを覗くのは私の楽しみです。
現在の状況では、過去形でお話をしないといけないのでしょうが、ここでは現在形のままお話を進めます。
リンカーンセンターにはメトロポリタン歌劇場、ニューヨークシティバレエ、ニューヨークフィルハーモニックの本拠地があり、前の席はびっくりするくらい高価ですが、数10ドルの天井桟敷で会場の雰囲気を味わいながら演奏会を満喫するのが好きです。
ここでは着飾った人はおらず、真冬にはニックスやヤンキースのジャケットにニット帽です。皆シーズンチケットを持っている人で、ほぼ顔見知りになりました。こんにちは、くらいしか言葉は交わしませんが、多分皆さん近所に住んでいる人でしょうね。
こんな人たちが暮らしているニューヨークから離れる気がしませんでしたが、結果的に今私は日本にいて、ニューヨークの現状に暗澹たる思いを禁じえません。
しかし未知の伝染病であるからといって、この世の終わりではありません。すぐに昔の喧騒がもどることをこころから祈っています。