原作は映画を上回っているか?

ティファニーで朝食を(小説)

「ティファニーで朝食を」というタイトルで、ほとんどの方はオードリー・ヘプバーンが主演した映画を思い浮かべるでしょう。原作の方は、日本人であればヘプバーンが表紙の龍口直太郎訳・新潮文庫を「映画を見てから読んだ」という方が主流派でしょう。私もそうでした。

2008年に村上春樹が新潮社から新訳本を出版しました。こちらの表紙はティファニーカラーの濃い水色に金色の縁取りがあるだけです。

翻訳者があとがきで書いています。

(前略)翻訳者としては、本のカバーにはできれば映画のシーンを使ってもらいたくなかった。それは読者の想像力を、結果的に狭めてしまうことになりかねないからだ。「ホリー・ゴライトリーという女性はいったいどんな姿かたちをしているのだろう?」と一人ひとりの読者が、話を読み進めながら想像力をたくましくすることが、このようなタイプの小説を読む時の大きな楽しみになってくる。ホリー・ゴライトリーはトルーマン・カポーティが、そのフィクションの中で創り上げた、おそらくはもっとも魅力的なキャラクターであり、それを一人の女優の姿に簡単に同化してしまうというのは(当時のオードリー・ヘップバーンが魅力的であることはさておいて)いかにももったいない話であると僕は考える。

「ティファニーで朝食を」トルーマン・カポーティ作 村上春樹翻訳 2008年新潮社

ホリー・ゴライトリーという女性は、村上春樹の言うとおり「もっとも魅力的なキャラクター」です。例えヘプバーンが魅力的だろうと、又は同時代のマリリン・モンローが魅力的だろうと、「一人の女優の姿に簡単に同化してしまうと言うのは」何としても「もったいない話」です。

映画の結末は、小説とは全く異なっています。簡単に申し上げると映画はハッピーエンドですが、小説は違います。どのように違うかは、私はいわゆるネタバレをする趣味はありませんので、ぜひ原作をお読みください。それも、できれば瀧口訳と村上訳の両方を読み、カポーティの英語版の原作も読むと世界が広がります。

トルーマン・カポーティとは

私がこの小説を好きなのは、まずはニューヨークが舞台であることが嚆矢でしたけれど、トルーマン・カポーティという小説家に興味を持ったからです。

トルーマン・カポーティは、1924年ニュー・オーリンズ生まれです。当初はトルーマン・パーソンズ Truman Persons という名前でしたが、母親の離婚と再婚により、アラバマでの生活を経て、10代半ばにニューヨークで Truman Capote となりました。

そもそもCapoteという苗字は何と読むのでしょう?カポテではないのでしょうか?

翻訳にカポーティとあるのでそこは納得するしかないのですが、瀧口の新潮文庫あとがきに説明があります。

(前略)さて、この新しい姓の発音であるが、元はスペイン語で「カポテ」と発音されたのであろうが(スペイン語のcapoteは英語のcape,cloakに当たる)、それがアメリカナイズされてカポーティ[k pouti]となった。私が会見したとき、ご当人はそう発音していたし、批評家のマルカム・カウリーも同じ発音をしていたので、それを決定的な読み方と考えてよいと思う。

ティファニーで朝食を トルーマン・カポーティ作 瀧口直太郎翻訳 1968年新潮文庫

トルーマンは学歴は高校中退ですが、10代の頃から短編小説が雑誌に掲載されるなど、早熟の天才でした。職業としては今でも有名な雑誌「ニューヨーカー」でいわゆる下働きをしていました。その後24歳(1948年)で発表した「遠い声、遠い部屋」が大ヒット作となり、世界的な小説家となりました。

そして1958年秋、およそ3年間の執筆期間を経て、ついに Breakfast at Tiffany’s の初版が世に出ます。瞬く間に多くの人々に熱狂的に受け入れられ、彼の名声は確立します。そして既述のとおり1961年に映画化され、こちらも大ヒット作となりました。

しかしこの作品を契機に、トルーマンはしばらく作品を発表しなくなります。

長い沈黙が破られるのは1966年初頭の「冷血」 In Cold Blood です。

この小説は、「ノンフィクション・ノベル」とトルーマン自身が名付けているように、これまでにない全く新しいジャンルの小説です。

この小説については改めて書きます。

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