1996年7月21日、私はマイアミにいました。アトランタ・オリンピックのサッカー日本・ブラジル戦を応援するためです。
オレンジボウルは最大8万人収容ですが、何事も大きいアメリカでは普通サイズです。当日の観客数は46,724人ですが、多分ほぼブラジル人又はブラジルの応援団だったはず。
試合前の会場の外は、お祭り騒ぎです。ほぼブラジルのカナリア・イエローしか見えません。ハンド・ドラムも軽やかで、みんなでダンスして笑顔いっぱい、楽しいねえ!と同行者とサッカー以外のことで盛り上がって客席へ。
場内では誰もがブラジルの勝利を疑わない。その上で、日本を応援する私たちは「お互いにいい試合をしたいねえ」、そんな雰囲気でした。
日本チームは監督−西野朗、GK−川口能活、DF−田中誠、鈴木秀人、松田直樹、MF−前園真聖、伊東輝悦、服部年宏、遠藤彰弘、路木龍次、FW−中田英寿、城彰二がスターティングメンバーでした。城彰二のワントップに前園真聖と中田英寿がうまくボールを繋げば、シュートチャンスはあるかもな、くらいの予想を私は立てて観戦していました。
予想どおりというか、ブラジルのシュートは上手ですし、レベルが違います。そこをGKの川口能活がセーブする。決して優しいセーブではなく、かといって神懸かりというほどでもないと想って見ていました。
試合は点が入らない、サッカーらしい展開で、見ていて正直なところ辛くなってきました。そんな折しも、後半23分のことです。ウイングバック路木龍次がブラジルゴール前の空間にボールを蹴り込みます。なぜかそこでブラジルのゴールキーパーとバックスが衝突し、ボールは転々とゴール方向へ!
ヒーローになったのは静岡県清水市出身のボランチ伊東輝悦(テル、と皆呼んでいました)でしたが、あれはいわゆる「ごっつぁんゴール」というやつですね。ちょんと触っただけ。
ブラジルは油断したのか、疲れたのか。
そのとき会場中から悲鳴が上がったのをよく覚えています。
そういう私自身、歓喜というより「あー、入っちゃったよ!」という感想でしたから。
勝てるかも?と日本サイドは思ったはずです。それまでの退屈な展開が嘘のように、ものすごく緊迫したブラジルの攻撃が展開されました。
川口能活のゴールセービングには本当に惚れ惚れしました。
翌日のアメリカの新聞は、どれもブラジルの視点で、屈辱的であると憤慨するものが多かったです。まあ、そもそもアメリカでサッカーはマイナースポーツですから、そんなもんでしょうね。
ちなみに会場のマイアミボウルは2008年に老朽化のため解体されました。ツワモノどもが夢の跡です。
マイアミのビーチに行くと、あの暑かった1996年の夏を思い出します。